カンバンだらけ

あけましておめでとうございます!
秋田はドカ雪、氷点下で、もろみが冷え込まないかとちょっと心配なくらいに
厳しい寒さです。
さて、新生「新政」、二造り目も、無事、折り返し地点に到来。
これから、造り本番というところで、楽しくて個性的な酒たちもこれから
徐々に生まれてくるでしょう。
今年もよろしくおねがいます!

さて、昨日、久しぶりに仕事が早く終わって、ぼやー….とできたてのお酒
=当蔵の「元旦しぼり」(除夜の鐘が鳴るのと同時に搾るというお酒です。
ご紹介が間に合わずごめんなさい、クリアな酸味が特徴的な、個人的には、
これから可能性が広まるような、なかなか愉快な酒です)

を飲みながら思ったんですが、
酒造りをしている上で、特に大事にしなければならないのが、
「再現性のある造り」ではないかということです。
当蔵はいろいろな試みをしますし、時には、面白い酒もできます。
ただし、それがまぐれではいけません。
狙ったとおりに、いつでも、良い酒を連続して醸すことができるかどうか、
ということを、もっとしっかり追求しないとならないなあ、と感じました。

お酒というのは、たまたまおいしいものができることが、稀にあります。
造った人が、どうしてこんなよい出来になったのか、全然わからない、というものです。
これは、単なる偶然で、まあ、どの分野の仕事でもよくあることです。

しかし、そういう幸運は、滅多に訪れません。たまに訪れるにしても、再び、それと同じ
ような味わいを再現することはできないのです。

ですから、造り手が、もしも狙った品質や、酒の特徴を、連続して再現することができるなら、
その人は「よく酒造りがわかっている」と賞賛されます。
もちろん、酒造り全てがわかっているのでないにしろ、
ある水準以上の味わいを、安定的に表現することができるかどうかは、
彼が、プロである証なのです。

一方で、本来、お酒自体は、その仕込みによって一本一本、違うものです。
完璧に同じ酒は、原理的にできません。
なぜなら、「発酵作用」は、生命現象であり、
こうした命の営みを、完璧にコントロールすることは、言うまでもなく、
たいへん困難です。
生き物は、こちらの思惑通り育ってくれるとは限りません。
特に、日本酒は他の醸造酒(ワインやビールなど)と違って、
酵母だけでなく、麹菌の働きも関与してきます。
実際は、二種類の微生物の活動を、ひとつのもろみの中で集約させなくてはならない
(平行複発酵)ので、本当に複雑で、頭がおかしくなります。

この、もろみによって味が違う、ということは、悪いことでなく、むしろ良いことだと思います。
機械じかけの工業製品でないのだから、(あんまり違うのは困りますが)
同じラベルの製品だって、ちょっとくらいは味が変わっていても、
それは魅力となるうるのではないか? とも思います。

しかし、それでも、「おいしいね」と評価していただいた酒は、できるだけまた
同じような味わいに仕上げたいと思うのも、造り手の気持ちです。
そこで、結局、なんとか再現性を上げるとしたら、データを集めるよりほかはないのでは?
と思ってます。
天気はどうで、気温はどうで、その米はそのときどのくらいの水分を持っていて、
その作業は誰が行って、それは何度になって、何時間かかって、
——

ということで、いろんな情報を書き込んだカンバンが我が蔵に増えてきました。
というか、うちでは「カルテ」です。
これは、酒母のカルテ↓ で、黄緑。麹はピンク。原料処理は紺色。もろみは水色。

$蔵元駄文-酒母カンバン


これらが、他の部署を廻りめぐって、最後にもろみのところまでやってきます。
原料処理から、データが書き込まれたカルテが回るたびに、そこで
微調整が行われ、最終的に、もろみの調整がしやすくなり、また来年の造りにも
生かされます。
キャリアの若いものたちの蔵なので、どうしてもこうした意識的な取り組みが
必要になるんですが、こうした取り組みをしないと、見逃してしまうことも
多く、きっと、酒造技術もかなりアップすることと思います。

しかし、蔵の中がやたらカラフルになったなあ—-