感恩講(かんのんこう)

$蔵元駄文-かんのんこう


最近の話ですが、当蔵ではもう20年近く使われてなかった、でかいステンレスの
屋外タンクをとっぱらうことになりました。
三基あったんですが、そのうち、現状、二基をとっぱらったんですね。

すると、写真のとおり、奥に隠れていた蔵がにょっきり丸見えになりました。
ところで、この蔵、ただの蔵じゃない。
「感恩講」(かんのんこう)という名前で我々が呼んでいる、いわくつきの蔵なんです。

「感恩講」とは、我々が略して、そう言っているのですが、
実際の意味は、「『感恩講』さんのものだった『蔵』」とでもいうのが正しい。
そう、新政酒造はこの蔵を、昔、「感恩講」さんから譲り受けて(というか購入して)
今、所有しているんですね。

それでは、この蔵の元の持ち主であった、「感恩講」とはいったい何か?
これは、とある団体名なのです。
実は、秋田が誇るものの中でもトップクラスに誇るべき団体なんです。
「感恩講」とは、日本で始めて造られた「慈善活動のための」「非営利団体」、(つまりNPO)
の名前なんです。


設立は、文政12年、1829年(当蔵の創業が1852年だから、もっと古いです)。
場所は、本町(現在の大町)6丁目。つまり、当社と同じ町内です。
設立者は、那波祐生(なば すけなり)という方。
秋田の実力者、那波家の(すでに当時で)9代目です。

那波家といえば、呉服屋「升屋」、醸造元「銀鱗」、「那波紙店」、「那波薬局」などなど
老舗の店をいくつも構え、東北有数の繁華街である「川反」地区一帯の大地主でもある、
秋田最大級の商人の家系です。
家柄・人脈・歴史的にも、五城目は「福禄寿(一白水成)」の渡邉家と、タメを張るくらいの名家でしょう。うーん、15代とか16代とか、かっこよすぎて、ある意味、気が遠くなりますよね。
殿様級? 想像不能です。

で、那波祐生さん。
この方がえらくて、当時、飢饉や凶作続きで大変だったのを見かねて、
献金を募り農地を買い、その収穫をできるだけ備蓄して、いざというときに備えるという
相互扶助のシステムを考え出して、実際に運営を開始したのでした。

その直後、1833年、天保四年。
東北地方が、史上最凶の大飢饉に見舞われることになりました。
最悪な状態だったみたいで、拝借すると、

「通町橋から六丁目橋の下まで、橋の下は浮浪者でいっぱいとなった。
死人をむしろに包んで背負いながら歩く者、橋の下で子を産む母親、親子兄弟に死に別れ、悲しんでいる者、途中で子供を捨ててたどりついた親などさまざまであった。
通町橋など午前十時ごろになると二百人以上もの浮浪者が橋の両側に立ち並んで物乞いをし、通行もままならないほどであり、夜などは物騒で外出できない状態であった。
『秋田飢饉誌』より」

通町橋から六丁目橋というのは、
まあ、先述の、「川反」という現在の繁華街を中心にした、川沿いの有名地区ですね。
当社もほぼ含まれている地区です。

こういう悲惨な時期に、日本初のNPO団体「感恩講」は、フル回転で活躍し、
「四十三万人に施米した」ということ。素晴らしいですね。

時代は下り、感恩講もその役目を変えてゆきました。現在は、保育園を運営するという形で、
大館や浅舞地区など、秋田県内の数カ所で、活動を続けておられます。

ただし、創設地の感恩講は、昭和中頃には運営を止めることになり、
その敷地の大半は、現在、児童公園になっています。
その名も「感恩講公園」。当蔵の北に隣接している小綺麗な公園です。
そこには、「感恩講発祥之地」という石碑が建っておりまして、知る人ぞ知る散策スポットに
なっているようです。

このように創設地にあった「感恩講」の大半の建物と蔵は壊されてしまったのですが、
実は当蔵、新政酒造は、蔵を3つ、那波家から譲り受けておりました。
これが当蔵の北側に残る、3つの白壁の蔵です。
これはもともと、那波家の「感恩講」の一部であって、そもそも市民のために穀物を備蓄
するための倉庫であったというわけです。
歴史的にもたいへん重要な蔵なんですね。

こうしたあたりは以下のブログにたいへん詳しく載っているのですが、
ここに、ついでに、昔の当社の裏側の写真もどーんと載ってます。
撤去前のでかいステンレスタンクがそびえたっているのがわかりますので、
土台しか残ってない冒頭の写真と見比べると面白いと思います。

ブログ 20世紀秘密基地

でも、感恩講の一部であった実際の貯蔵庫が、当蔵敷地に残存しているとは
ほとんど誰も知らないようですね。
3つの「感恩講」の蔵は、昔から酒の貯蔵のために使ってました。

ただし、冒頭の写真に映し出された蔵には、今や、からっぽのタンクが入っているだけです。
現状、温度調整機能のついていない普通のホーロータンクで酒を貯蔵することは
滅多になくなっているので、時宜を見てタンクを中から出して、まずは蔵をからっぽに
する予定です。
ただ、その後、タンクを出した後の、蔵の使用用途がきまってないのです。

さて、どうしようか? うーん。
例えば、瓶詰めした後の酒を貯蔵できる低温の空間などは、
酒質のためにも、喉から手が出るほど欲しいのですが——

でも、歴史的な意味あいから考えれば、公共的な使い方、文化的な用途で
活用できるのが一番いいですよね。
そうすべきだなあと、今のところは考えております。









































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