寒さと酵母について考える—-

おそらく、今頃は、多くの蔵で、一年を通じていちばん忙しい時ではないか? と
思います。なんといっても、今は一年でもっとも寒い時期。
秋田でも、朝の外気温はマイナス—-。蔵内でも0℃くらい。
米を洗う機械が凍って、作業が滞るほどです—-。


でも、寒ければいいってもんじゃない!!
実は日本酒というものは、昔は年がら年中造られていたお酒です。
寒くないと酒ができないというのは、案外、最近に造られたイメージでしかありません。

そもそも、日本酒造りの設計図は、実に巧妙で、きちんとした手順を踏めば、夏でも
酒を醸すことはできるのです。

もちろん質的な面では、ある程度寒い方が、発酵がゆっくりになり、
ひいては酒質が上がる(マイルドになるという意味)ことは上がります。
こうした発見に加え、農閑期の余剰労働力が見込めるという条件が重なることで、
江戸時代以降、だんだん「寒造り」というスタイルが基本となってきました。

それでも、明治くらいまでは、西日本の冬くらいが、酒造りにはちょうど良くって、
逆に、今、「銘醸地」が多いとされる東北地方は、逆に寒すぎる、技術的なレベルが低い、
などの理由で、大正期ころまでは「日本酒」の産地としてのイメージは、
(山形の大山地方など、数カ所をのぞき)、薄かったようです。

そもそも、日本酒は西日本が源流です。酒米もそうですよね。
ちなみに、もともと酒米というのは、
南方系のお米の形質が強いらしく、いわば米の祖先とでもいう血を残しているらしいです。
山田錦、雄町など、現在でも最高とされるお米を、この温暖化した現代においても、
東北地方では育てるのは至難です。

奈良が日本酒発祥の地であるとすれば、京都の伏見で現在の製法(三段仕込)が完成され、
次いで灘で生モトが開発され、これにより、いちおうの完成を見たあと、
広島にて軟水を使用することが可能となり、いわゆる「地酒」「地方の酒」が注目されるようになり、
兵庫、愛知、福岡などがそれに続く銘醸地となっていきました。
(これら、今でも素晴らしい酒屋がいっぱいある地方ですね!)

でも、明治~大正の頃、東北はそんなパッとした良いイメージではありませんでした。
総じて、西日本が銘醸地で、東北はそうでもないと思われていました。

失礼ですが、今の北海道みたいなもんでしょうか。寒ければ寒い程いいなら、北海道が一番
いい酒を造れそうなものですが、イメージ的にはそうでもないですよね。
(実際には、「男山」さんをはじめ、素晴らしい造り酒屋はあるんですよ!)

つまり、寒すぎて、あんなところで造れるのか、というようなイメージがあったわけです。
そう。酒ができないんですね、あんまり寒すぎると。

つい先日も、うちのもろみで、部分的に凍ってしまったのが出ました—-。
私のミスで、冷却機能がついたタンクを、仕込み後も作動させたままにしておいたためなんですが、
ここのところの朝の極寒環境と、タンクの冷却機能の相乗効果で、もろみのタンクとの接触部分(外周)が、かるーく、凍りかけてたんですね。

このような光景を見ると、昔はさぞかし大変だったろうなあ、と思います。

そういえば、友達で、北海道の蔵元がいるのですが、
「何もかも凍ってしまって、1月は酒造りが不可能に近い」
と言っておりました。寒すぎてまともな発酵ができないし、水やら燃料やらの
確保にすら不安があるとのこと—-。

今ですらこうなのですから、きょうかい酵母(培養酵母)以前の時代、
その造り酒屋独自の蔵付き酵母だけで酒を仕込んでいた時代には、想像を絶する苦労があった
はずです。非力な酵母しか棲みついていない蔵では、
厳冬期には、とうてい発酵が完遂できない場合が多かったでしょう。

昔の酒造講本を見ると、米が「溶けない」ことよりも、「溶けすぎる」ことを極度に警戒する
ふしがあります。
なぜなら、米が「溶けすぎる」と、酵母に負担がかかり(濃糖状態)、発酵が挫折する可能性がある
からです。

特に、今のようなな、異常な寒い時期に、必要以上に米が溶けすぎてしまうと、
いくら待っても酵母が増えず、アルコール発酵も緩慢になり、しまいには低温に強い乳酸菌に
もろみが汚染されたり、そうでなくてもアルコール発酵が中止して酒にならなかったりと、
やっかいなことが続出してしまうのです。

現在の仕込み技術の基本である、「限定吸水」(米を蒸す前に、米に水を吸わせる量を加減する
技術)も、こうした背景から生まれています。

米に水を吸わせず、米を硬く仕上げることで、「溶けすぎ」を未然に防ぐという技術は、
戦前の、山形出身の天才的酒造技師である中村政五郎先生が提唱したものです、確か。

先生は、三段仕込の、添~仲~留に従って、それぞれに対応する蒸米は、
「軟」「硬」「剛」という風に仕上げよ、とされています。

中村先生は「特によく削った米は溶けすぎるきらいがあるので、
蒸米を部分的に、徐々に溶けにくくしてゆくことで、
発酵に合わせた、ゆっくりしたペースで米が溶解/糖化させ、
順調な発酵を行わせるべき」と諭しています。

これに加えて、著名な酒造技師である、鹿又親(ちかし)先生も
「櫂で溶かすな、麹で溶かせ」という言葉に代表される指導をしております。
つまり、溶けやすい米を使用するときは、
無用に多く櫂入れをして米の溶解を過剰に進めることはしてはならない。
まずはほっておいて発酵を進めなくてはならない。
そうでないと、発酵が挫折に終わる—–ということを指導されいているのです。

このように、昔の酒造りでは、特に寒い時期に、ある程度削った溶けやすい米(酒米)を
用いるということは、たいへんに用心がいることだったのです。
(まあ、今でもそうなんですが)

—–ということを考えると、今うちで使用している6号酵母が、
かつて秋田にて生まれたということは、感慨深いことであるように思います。

当蔵では、オール6号酵母で酒を仕込んでますが、さすがに発酵力は申し分ないです。
側面が凍ろうが、おかまいなしに中心では、仕込み直後から8℃くらいをキープし、
ぶくぶく湧いております。なんとも頼もしい。

この生命力—–かなりの濃糖状態でも、しかも、もろみの温度が10℃以下でも、
平気の平左で、高いアルコール度数まで、発酵を完遂する力が、本来の吟醸酵母の条件であるのです。

さて、このパワフルな6号酵母の誕生と頒布(昭和10年=1935年)以降、
広島などの西日本のお株を奪う形で、東北の造り酒屋が続々とブレイクし、
今現在も、山形/宮城/福島など含め、東北全体が銘醸地として名を馳せることとなりました。

そう。酵母の発酵力の強大化が、精米歩合の低減化ならびに寒冷な気候とマッチして、
「高精白米の低温発酵」という吟醸造りの基本製法が、現実的に可能となったのです。
つまり、酒造りでは、糖化と発酵のバランスがもっとも需要。
他方が強大化することで、他方も強くなることができたわけですね。



まとめとしましては—-。
溶けやすい酒米を贅沢に削り、低温で発酵させるという「吟醸造り」が本格的に確立されるには、
近代清酒酵母=吟醸酵母(6号酵母以降)の登場を待たねばならず、そしてそれ以降、現実的に
「吟醸造り」と「東北」が、セットとなって、酒造史の中に屹立することとなった—–、
ということだと思います。
これは、注目に値することだと、個人的には思います。

実際、最強の発酵力を持つ9号酵母の登場によって、吟醸造りは一旦、その頂点が極められた
と私には思われます。
(それ以降は、香りの闘いとなり、審査基準が変わってしまいました。これについては後日—)

とすれば、さらなる強靭な酵母があれば、もっと寒冷な気候でも、もっと低温でも
発酵が可能なのでしょうか—-。

ほとんど麹など不要なくらい、勝手に溶けるような、精米歩合10%くらいの
超高精白米を、もろみ温度5℃で、発酵し切るような酵母が—-、
北海道で見つかるかも?

ではでは。