雄町 観察日記

蔵元駄文-改良

本日は改良信交の視察に行って参りました! 今年はどうも作柄が心配されていましたが、
そんなに悪くないようですね。
今のところ順調に生育しているようで、ほっといたしました。

さて、この秋田生まれの最古の酒米である改良信交は、やたら背が高くなる品種です。
亀の尾の血を、たいへん色濃く受け継いでいるためでもありますね。

背が高いと、風で倒れてしまう可能性が高くなります。
この「倒伏」を防ぐためには、肥料をかなり制限して、必要以上に稲を大きくしない事が
肝心です。
肥料を制限することは、品質の向上にも役立ちます。米のタンパク質も少なくなり、
あらゆる面で良好な米になるのです。

もう4年目になるので、改良信交の造り方も手馴れてきたようで、たいへん頼もしい
圃場でございました!




さて、お次ぎは、秋田県内の、とあるところで栽培していただいております、
雄町。いわゆる酒米の元祖といも言える存在。酒米中の酒米と言っても過言ではない米です。

昨年は、苗の段階でうまくいかなかったので、失敗に終わりましたが、
今年はうまくいっております。五反分ほど栽培してもらっております。

蔵元駄文-雄町

できたら、秋田雄町とでも名付けようかな???

さて、当蔵、何故「雄町」をこんなところで栽培していただいているかというと、
いくつかの理由があります。

1、当蔵は「秋田県産」の「酒米」だけを使おうということで、
一昨年前から取り組みをはじめています。そのせいで、秋田で栽培された米でなければ
使用できません。

昔、メタミドホスで汚染された米が出回ったおり、日本酒でも使用されたことがわかり、
大騒ぎになりました。

でも、あの頃、私も、普通酒なんかには、もっとコストが安い米を使った方が経営的にいいのでは
ないかと思ってたふしがありました。
市場には、やたらめったら価格の安い、一般食用米、それもくず米のようなものが
案外、流通していたのです。

そんな折りに、あの事件。
私は、たいへん衝撃を受けました。あのままそういう考えで酒を造っていき、
それがいつしか常態化したら、いつか、取り返しのつかないことが起こり、
先祖の名前を汚してしまうと思ったのでした。

結局、それから私がどうしたかというと、原料のコストをけちるのでなく、
できるだけ素性のわかった良質の材料、つまり自分の県の「酒米」を用い、
そのぶん醸造技術を磨き、あまり磨かないで、地元のために普通酒を造ってみようと決めました。



2、雄町は、かつて、6号酵母が誕生したころ、当蔵で、もっぱら高級酒に使われていた
米でした。(山田錦は、昭和11年に育種。6号酵母の発見は昭和5年なので、その頃は
雄町が最高の酒米だったのです。というか血統的には、雄町<……とほぼ同一に近い酒米である
短稈渡船>が山田錦の親です)

昔の文献を見ると、昭和初期の五代目卯兵衛の時代、当蔵は岡山の「雄町」と、地元の「亀の尾」
の二種類を使い分けていました。そして、山廃酒母の製法で、酒を醸していました。
この組み合わせの中から、6号酵母が生まれたというわけです。

国税庁技師・小穴富司雄先生が、6号酵母を釣菌されましたが、それは間違いなく
吟醸もろみからでしたので、高い確率で、それは雄町のもろみであったと思います。
ということで、雄町×生モト系×6号酵母という組み合わせは、私にとって最高に魅力的
なものなのでした。



3、今まで一番うまくいった酒は何かと聞かれれば、20Byに造った雄町の純吟
(オール55%精米)のような気がします。
2008年栽培米にして、2009年醸造発売なので20By(2008-2009)の雄町です。

その頃は、年輩の蔵人たちがいなくなり、はじめて若手の製造部員だけで
酒造りをはじめた年でした。右も左もわからず、味はかなり変動しましたし、よくやりとげた
なあ—-と今でも不思議に思う程めちゃくちゃな年でした。
まったくわからないことだらけで、気づいたら夜が明けている、そんな日々でした。

そもそも私にとって雄町は、味わいの面でも、あこがれの米でした。
日本酒にハマったきっかけのひとつに「醸し人九平次」という酒の存在があったのですが、
特に、「雄町」を使用したものが、私の大好きな酒だったのです。

それから酒造りに携わるようになり、
蔵に戻った翌年、この20Byは同年代の杜氏と、なんでも好き勝手できる環境になりました。
当然のように、私は真っ先に雄町をオーダーしました。

—–しかし、実際に扱ってみて、その想像を絶する扱いにくさに、酷い目にあったのでした。

私はこの年、麹屋でした。頭でっかちで知識はあるが、その実、現場の技術は
まったくない状態です。携帯電話を片手に醸造試験場や知己の先生と話しながら、
いちいちおっかなびっくり麹を造っておりました。

そんな危険な状況下、秋田では久しく誰も使っていなかった雄町が、我が蔵にやってきました。
そして、蒸し立ての米が麹室に引き込まれてきました。
が……これ……何? みたいな代物でありました。

米が柔らかすぎて、ぐにゃぐにゃ。

なんとか、ひっくり返してよく乾かそうと触っているうちに、ねちょねちょになって、手が水っぽい餅状のグローブに包まれてしまいました。

正直、これはヤバいと思いました。美山錦とかと全然違う。
どうしようか、せっかく手に入れたあこがれの雄町は、
数十分触っているうちに、すでに全体的に、ねばねば団子の結合体のような
具合になっています。

これ以上触っても潰れるばかり。
そんな状態で、麹菌を振っても、十分な麹にならないような気がします。
中国の餅麹みたいなのになるかもしれない—–。

一般的に、米同士がくっつきぎた状態で麹を造ると、出来が悪くなるとされます。
「金平糖」と呼ぶのですが、たいへん扱いにくく、ダメな麹の特徴のひとつとされます。

こういう麹は、おたがいくっついている部分が多すぎて、
麹菌が生える部分が少ないし、表面ばかりに菌糸が生えます。
また、水分過多で汚らしい麹になるかもしれません。

私は、これ以上触ると、さらにぐちゃぐちゃになって麹にならないのではと考え、
できるだけ多くの麹菌を振って、その日は乾かすのを止めました。

もちろん、その後も、出来は芳しくなく、米粒は割れて、くっついて、団子のようなものだらけ。
麹の生えているところはもじゃもじゃで、生えていないところも多い。
いかにも、誰が見ても、かなり出来の悪い、アンバランスな麹になってしまいました。

酒も、おそらくは雑味だらけの最悪なものになるだろう、と大変危惧したのですが、

なぜでしょうか??
恐るべき良い酒ができてしまいました。

酒母でももろみでも、まったく変わった事はしていません。
ところが、どうしたことか、ダイナミックでバランス感あふれる、実に優れた酒になりました。

そしてこの酒は、地元の酒屋さんのすすめで「やまユ」という名前をつけてもらいました。
うちの屋号は、「やまウ」というマークなのですが、こちら下の部分を、僭越ながら、
私の名前の「祐輔」のユに置き換えさせていただいたわけです。

さて—–あの頃に比べて、現在。
技術は、今の方が何倍も上達して、かなり安定的に酒造りをコントロールできるように
なったような気がします。

しかし。
あの造りを知らなかった頃、予想を覆して偶然出来てしまった雄町の純米吟醸を超える酒を
思えば、比肩しうるものはいくつもあれど、超える事ができたかというと疑問です。

未だに、なぜあんなひどい麹で、あの稚拙な酒母育成、もろみ操作技術で、
あのようにいい酒ができたか、意味がわかりません。

しかしながら、わかることと言えば……

いかに技術が発達しても、自然と偶然がもたらす酒のほうが旨いこともあるということ—
つまり、酒造りには、まだまだ知られざる秘密があるということ。
造り手が酒を造っているのではなく、結局は自然が造っているのだということ。
曾祖父である五代目は、「酒造りとは結局信仰の問題である」といって亡くなられたそうですが、
そういうあたりのことを言うのであろうかと思ったりもします。


蔵元駄文-比較


ということで、
秋田で栽培している雄町。ただいまは、減数分裂期といって、
穂がだんだん形成されている時期。

となりは、おなじみの一般食用米である「あきたこまち」ですが、
一見して明らかに雄町のほうが、すでにでかく、茎も根の繊維もひとまわり太い感じです。

さて、この雄町のような、西日本が栽培適地の、南方系の大粒米は、登熟するのに、
相当たくさんの積算温度を必要とします。
寒い地方では、なかなか実らず、そうこうしているうちに、霜が降りたり、雪がふったりして、
全滅してしまう可能性もあるのです。

さて、ここまで来ましたら、なんとか収穫できるよう、農家さんには、
頑張ってもらいたいと思います。

またご報告致します。