Hanako for men 日本酒特集

なかなか更新ができませんが、みなさんお元気でしょうか?
さて、お知らせですが—-

蔵元駄文-hanako

Hanako for men 最新号は、なんと日本酒特集なのですが、おそれおおくも取材をしていただきました。

以前、GQさまにも取材をいただきましたが、その時もむしろ趣味的なところを含めて
取材いただき、たいへん光栄でございました。ありがとうございます。

さて、今回、Hanako 編集部さまからも、蔵元の私生活というか、
文化的背景についても含めた取材を……と依頼を御受けしまして、こちらがめんくらいましたが、
「読者に親近感を抱かせるような、等身大の蔵元の姿というものが反応が良い」とのこと、
「つまりきっと日本酒のためになる」はず、ということでお受けさせていただきました。

(個人的には親近感が抱かれるのか不安な私の趣味内容なのですが—おもしろがっていただければ幸いです)





さて、自分が扱われていた記事を読み、思えば、私はたいへんに恵まれた環境で育ったのだ
なあという感慨を新たにいたしました。

秋田の日本酒は1976年<昭和51年>くらいにその出荷量のピークを迎えました。
私が2歳のころが、全盛期だったわけです。造っても造っても、飛ぶように日本酒が売れた時代です。

さて、全国的な日本酒全体の出荷量ピークはいつかというと—–?
その2年前、1974年<昭和49年>にはすでにピークを迎えておりました。
それ以来、日本酒は坂道を転げ落ち続けて40年近くになろうとしているのです。

多くの中小の蔵は、壊滅的な憂き目に遭いました。
スケールが小さい蔵から体力を使い果たし、次々と廃業しました。それは今でも続いています。
生き残っている蔵でも、全盛期の1/4ほどの縮小で済めばマシなほうです。
なかには1/10以下になったという蔵も珍しくありません。

私の蔵も、私が生まれたときの出荷量から見ると、1/5以下になっています。
我々の団塊 Jr 世代の蔵元は、子供の頃はおぼっちゃんであったものの、
代を経て子供の学費を心配する程に落ちぶれてしまう—–。
これをいったい誰が予想したでしょうか。

しかしながら、この顛末は、日本酒業界のみに限らりません。
むしろ、オイルショック後の日本に見られる一般的な事象の、
典型的な一例でしかないのだろうと思います。



今年の8月末、NEXT5でフランス旅行の帰りに、ドバイに立ち寄りました。
そこで我々が目のあたりにしたのは——砂漠に造られた人工の湖—-、
すべてを見るのに3日かかるショッピングモール、とんでもない高さのビル群—–。

想像を絶する途方もない金のかけようを目のあたりに見ることができました。


蔵元駄文-夜ドバイ
夜のドバイです。高層ビルが不夜城のように輝いています。

蔵元駄文-ビル群

砂漠に立ち並ぶビル群。一時期に比べれば落ち着いたと聞きますが、
いまだ建設真っ最中のものも多かったです。

蔵元駄文-バージタリフぁ

世界最高クラスの高層建築「バージュタリファ」の展望台から見下ろした画像です。
スターウォーズですね、まるで。

蔵元駄文-スマホスイート

こちらはNEXT5で宿泊したホテル。豪華な部屋ですね~~~。
実は、皆でスイートルームを借りて過ごしましたんです。
しかし、私はいつものように体調不調でダウン。
その夜は、残りの皆でワインを飲んで楽しんだそうです!
なんてこった……。
そしてNEXT5は朝から皆、熱心にスマホいじり—-せっかくのスイートなのに、景色を見ようよ—-みんな—-。
ところで、このホテルの名前はなんでしょう?


蔵元駄文-シャングリコーエー

そう、このホテルの名前が、「シャングリ・ラ」なんですね~~。
上の写真は、エントランスのソファに座る「一白水成」渡邉康衛くんのナイスショットです。
おあとがよろしいようで!



……
さて、考えてみれば、オイルショック以前は、こうした石油利権から生じる膨大な富の
ポテンシャルを、西欧諸国(それに追従する日本を含む)は独占していたのですね。
実際、日本はその恩恵でコストパフォーマンスの高い製品を作り、
国内外に売りまくって高度成長を達成しました。
しかし、1973年。私が生まれた前年、それは崩壊しました。
たまたま翌年に、日本酒の出荷量は頭打ちになりましたが、
それは奇しくも日本の経済が頭打ちになった瞬間でもあったと言えます。

安価なエネルギーがなくなったことで、砂上の楼閣のようにそれまでの
経済システムが立ち行かなくなったのですね。

それ以来、日本はかつての栄光を追い求めながら、今に至ってるのではないでしょうか。
高度成長期を幼少期にでも体験したものであれば、
安価なエネルギーがあれば、経済力は復活する、と考えることが自然かもしれません。
原子力発電もそういう理論で存在しています。
大企業が牽引する経済では、いかに原料を安く手に入れて、大量に安定的に
均一なプロダクトを造るかという意識がやはり基本にならざるを得ないのでしょう。

日本酒はどうでしょうか——?
最近のニュースを見ると、そういう高度成長期幻想的な経済観から、
まだまだ日本酒も逃れられてはいないような気がします。

しかし、もはや時代は変わっております。
確かに生活を支えるために、まずは値段の安さが焦点になる日用品も必要でしょうが、
文化的生活のすべてがそれだけでは世知辛い話です。

逆に、原料にコストをかけ、さらに手間ひまというコストをかけ、
可能な限り最善のものを作り出すことで、
(まあお高くはなるでしょうが)その値段以上の「精神的」「感性的な」
満足を与えることだってできるのです。
こちらもコストパフォーマンスという意味で、たいへん優れていることになりえます。

このようなプロダクトも、同じように、いや成熟した社会にはむしろ大切なのかもしれません。
そしてこういう方向へこそ、地方の中小零細企業は進むべきでしょう。
そして中小零細が国の経済を牽引できるようにすれば、きっと既存の経済システム、
エネルギーへの意識もきっと、変わってくるでしょう。

Hanako for menでは、そういう「精神的」「感性的」価値を見い出す対象となりうる、
個性的なお酒を「作品」的日本酒と表現させていただきました。
そういうお酒が増えることを祈っています。





さて、話は変わりますが、最近当蔵では、部署の異動がありまして、杜氏業務を二つに分割することになりました。
原料米の栽培管理、その入荷から、精米~醸造~精製酒を瓶詰、管理そして出荷するまで、
一人で完全に掌握することはもはや限界でありました。
ましてやこれから原料の入手のために蔵自体が主体的に動いてゆかなければならないとあって、
いわゆる杜氏の仕事を二つに分割することになりました。


杜氏でありました鈴木隆は主に、搾った後の精製酒の管理と出荷データを主に把握する、
より一層、管理職的な業務を担当してもらうことになります。
また、古関弘(こせきひろむ)は、原料入荷以降、上槽までの醸造管理を主に、という形で
分担。蔵をあげて、さらに精密な酒質管理を行ってゆくことになりました。

Hanako for menでは、古関弘と私で現場にいる写真がございますね。
写真では、私、麹室で頑張っておりますが、撮影以来、なかなか麹の仕事にはまれず、
古関醸造長に、すっかりまかせっきりです。
人員的な問題で、私は、昨年同様、酒母の仕事からまだまだ離れられずにおります。
(—-が、まあ、酒母が一番性にあっているかもしれませんね)

今年は麹造りで良いアイディアがありましたので、ぜひやってみるべえ!
と意気込んでおりましたので、それもぼちぼちやらないと。
あるいは古関醸造長がうまく実現してくれる、はず??

ではまた。