酒造りの最中、疑問が出てきて、調べものをしたくなるときがあります。
あるいは、知識が曖昧なところを補強したいと、勉強したくなるときがあります。
そういうとき、教科書的なものがあればいいのですが、
これがなかなかないのです。
いわゆる醸造協会から出ている赤本(=「清酒製造技術」)という、造り手必携の本は
ありますが、これは本当に基本中の基本ですね。
もう少し実践的なもので、現場に役立つものといえば、
まあ、酒造組合中央会の通信教育のテキストでしょうか。
でも、これも現場的な細かなところについては対象外です。
私の場合は、現場の知識を得るのに、もっぱら古い文献を読むことが多いです。
当蔵は、昔、大火事に遭いまして、5つの仕込み蔵を残して、母屋が焼けてしまった
という歴史があり、あんまり文献は残ってないのですが、本やノートは奇跡的にそこそこ残ってます。
最近、読んでいるのは
↓
醸造学講義
醸造学
サインに、1915年とありますので、大正4年に買ったものですね。
大阪で買ったらしく、大阪の本屋のシールがついていました。
ということは、これは、大阪大学(当時は「大阪高等学校」)の、醸造学科にいたころの
五代目の私物だったことがうかがえます。「卯兵衛」襲名前の名は、佐藤卯三郎といいましたが、
実際、 Usaburo Sato ってサインがありますし、
名刺みたいなもんもノートに挟まってます。
↓
当時、酒のメッカは灘・伏見。そのお膝元の阪大の醸造学科は、酒造りを志すものにとって、
唯一にして最高の存在だったみたいです。
ちなみに、ニッカウヰスキーの創始者の竹鶴氏とは同窓だったそうです。
そういえば、この本を読んでいると、
日本酒のところなんかには、まったく線がひかれてなくて、まっさらなのに、
ビールの章には赤線がいろいろひかれてたり、書き込みがあったりします。
五代目も、洋酒にはたいへん興味があったのだなあと関心します。
↓
この後、五代目は、秋田に戻って、酒造りに励んでいるうち、
「六号酵母」を生みだすことになりました。
「六号」は、昭和五年に、当蔵もろみより、国税庁技師である小穴富司雄
(この方の著作「経済と吟醸 酒造要訣」も最高!)により採取され、
昭和十年には、醸造協会により全国で発売。
その安定した発酵特性と上質な味わいが評判になり、発売後は、すみやかに全国に普及しました。
乳酸菌に頼らない酒の作り方である「速醸酒母」と、
「協会酵母」の組み合わせは、現代でもほぼ100%の蔵が行っている酒造りであり、
基本中の方法ですが、この昭和初期にやっと確立したと言えます。
こうして、全国津々浦々で、清酒の安全醸造が達成され、清酒醸造が
「近代化」したわけです。
同時期に、縦型精米機が普及し、高度精白が可能となり、吟醸酒が誕生—-
と、清酒の革命が続いてゆくことになります。
話は戻りますが、こうした昔の時代の本は、いろいろな意味で、参考になります。
特に、大正時代の書籍は重要です。
この時代は、協会酵母や速醸酒母といった画期的製造法が普及する前。
もっぱら、「山廃」とか「生モト」といった製法を用いて、
家付き酵母により仕込むよりほかない時代だったのですから、大変です。
今、日本で、全量、家付き酵母で酒を仕込んでいるなんて蔵は聞いたことがありません。
山廃に限って言えば、滋賀の「不老泉」さんが、山廃は全量、家付き酵母で沸かせている
と聞いたことがありますが、これだけでもすごい。
山廃をやっている蔵の人間なら想像できると思いますが、
家付き酵母で、きちんとしたクオリティの酒を、安定して提供するなんていうことは、
ぞっとするくらい、難儀なことです。
ですから、こうした時代の本は、現場主義の塊のような解説だらけです。
櫂の入れ方ひとつとっても、いろいろなやり方が細かく記載されていたりして、
丁寧このうえないです。
さて、現代の酒造りは、楽になりました。
乳酸菌に乳酸を出させなくても、買ってきた乳酸を入れればよく(速醸酒母)、
空気中に漂っている家付き酵母を、酒母に呼び込んで、酒を沸かすなど危険なことをしなくても、
培養した優良酵母を使えば、より美しく純粋な味わいの酒は、黙っていてもできます。
ただ、昔にくらべて、現代の造りは、手順は合理的なのかもしれませんが、
工芸的な意味合いにおいて、昔よりも上等と言えるのかどうか、はなはだ疑問です。
昔の本を読むたびに、自問自答してしまいます。
こうしたあたりが、単なる最新データが羅列してある教科書やテキストを
さしおいて、古書に手がのびてしまう理由なのかもしれません。