蔵開きの日

$蔵元駄文-蔵開き

昨日、「蔵開き」しました!
当蔵では、神主さんがきて、蔵中をおはらいしていただく行事を、蔵開きと言ってます。

思えば、酒蔵は異常に縁起をかつぎます。

考えればあたりまえで、昔は麹だの酵母だの、微生物の存在などもわからずに、
酒造りを行っていたのですから、まさしく「奇跡」的な仕事だったと思います。

どうして、ある手順に従って、米を処理していくと、
勝手にどんどん甘くなり、ついには発酵が始まり、最後にはあのような味わいの
お酒ができてしまうのか。
そして、時には、造っているとき、酢になったりヨーグルトみたいになったりして
腐ってしまうのか。

どうして、うまくできるのか。あるいは、できないのか。まったく、よくわからない。
そもそも、なぜ酒ができるかも、はっきりとは、わからない。
せめてできることはといえば、酒の神様を尊重することくらい。
そうすることで、なんとか、良いお酒を造りたい——と、
古来から蔵人は、縁起をよく担ぐようになったのでしょう。

そして、未だに、酒造りは、神様頼みのところが多いです。
わけがわからないことが多すぎます。
えー、例えば、最近、急に、酒に甘みが残らなくなってて困ってます。
「キレ優先」ていう傾向になってて、辛口になりやすくなってます。

特に、造りは何も変えてないのに、なんだかスイッチがはいったように
そうなってしまい、困ってまして、いろいろな人に相談して、
あれこれ仮説を立ててもわからない。

高度な酒造技術者だった五代目は、死ぬ間際に、
「結局のところ、酒造りは、信仰の問題である」
といって亡くなられたそうです。

浄土真宗の教徒ではありますが、
なんとなく無神論的な方だろう、
と勝手に私が想像している先々代が、
あえて「信仰」という言葉を使うとき、
そこには、どういう意味が秘められているのか?

今後、酒造りを通して理解していかなければなあ、と思いながら、
また、「キレ優先」が直らないかなあと思いながら、
祭壇に手を合わせた次第です。