あまりに山廃が多くなったので、酒母室に見学者は入れなくなりました—–
野生酵母が入って、「早沸き」するのを防ぐためなんですが、
その代わり時々写真にて公開します。
いろいろと諸先輩たちに勉強させてもらったあげくのやり方なので、
もはやこれが、厳密に言って、山廃なのか生モトなのか、
いまいちよくわからない製法で恐縮なのですが——-
今のところ、うちでは普通、生モトで使う、「半切り」という平べったい入れ物に米を
入れてます。
水に麹を入れて、かきまぜて、蒸米を入れます。
4時間くらいすると、米が水を吸いまくって、全体が米粒だけになってしまいます。
↓
やや、アップ。米粒だけで、水気なし。
↓
さらにアップ
こんなんで、どうやって酒母ができるというのか?
ただの大量の米粒でしかない状態です。
↓
これを、手で20分くらい、一生懸命、かきまぜると??
不思議と、汁気が出てきて、ややぐちゃぐちゃな感じになります。
おかゆっぽい状態に!
このまま一日放置して、翌日に酒母タンクに入れ直します。
↓
うーん、これって山廃なのか生モトなのかよくわからない。
定義から言えば、
・生モトは、このように、「半切り」に入れた米を一生懸命、櫂棒でごりごりすりつぶす
(=山卸<やまおろし>)ものです。
・山廃造りは、半切りを使わないで、酒母タンクの中に物量を全部入れてしまって、
すりつぶすまではいかない程度までかき混ぜる(=荒櫂<あらがい>)やり方です。
(速醸酒母でも、はじめの撹拌の度合いはそんなくらいで済ませます)
当蔵の、このやり方では、
「半切り」を使ってるけど、摺り潰しはしない。つまり山卸はしないから、
まあ山廃(=山卸廃止モト)なのか。
しかし、かきまぜる時間を延ばしたり、手でなくて櫂でかき混ぜまくると、
山卸したような感じにどんどん近づいていく——
溶けが悪い堅い米なんて、必然的に米をよく撹拌破砕することになりますので、そういうのは、
「なんちゃって生モト」になっているような。
そもそも、どこまで櫂入れをすると、摺り潰したこと(=山卸)になるのか?
「生モト」用には、溝のついた専用の櫂棒がありますが、別に道具で定義される
わけでもないでしょうし。
例えば、酒母タンク内で、へらをくっつけたドリルを使って、強制的にハードな櫂入れを
する「秋田流生モト」というスタイルもありますが、それはむしろ山廃的なのでは—–
という気持ちもしなくなかったり。
つまるところ、山廃も生モトも定義がないに等しいのです。
そもそも、酒税法でも別に、「山廃」「生モト」の製法による区分はありません。
このため、明確に、どれが山廃で生モトかなんて定義しようとすると、もうドツボにはまること
間違いなし!なのです。やめときましょう。
ここでは、山廃も生モトも同じようなモノだということだけわかっていただければ、
本当にありがたいことです。
——-というのも、時折試飲会で、「なんで『生モト』で造らないんですか?」とか、
「『山廃』より『生モト』のほうがいいんですよね?」とか質問を受けることがあります。
どうもお客様の抱くイメージでは、「生モト」のほうが「山廃」よりも、ランクが上のよう
なんですね。
「生モト」のほうが、<歴史的に古い>といえばそうですが、さりとて<「山廃」は
新しい技法>という表現については、それが妥当かどうか疑問です。
うーん、極論なのかわかりませんが、「山廃」とはジャンル分けされるようなものかどうか?
名前を与えられて特別視されるほどのものかどうか、理解に苦しむ時があります。
(無論、提唱者の嘉儀大先生の功績は偉大であります。
ただし思うのは—–
例えば、私も「酒母製造実験談(山廃・速醸)」嘉儀 金一郎 醸造協会誌 1909年10号
など、手元にある文献を参考にしたりするのですが、
嘉儀先生当人も、国税庁&醸造研究所も、自然発生的な一手法として提唱されていたような
感じがします。私の理解が足らなかったらすみませんが)
米をあまり削ることができなかった時代で、麹造りの技術がほとんどなかった時は、
間違いなく米を、しっかり摺り潰さないとダメだったでしょうが、
高度精白が可能になり、パワフルな麹ができるようになってからは、
「まー、こんだけ溶けやすい素材が揃うようになったら、
ムキになって摺りまくらなくてもいいっていうか、
まあなんちゃってレベルでも、比較的早期に液化してくれるよね。
てことで、山卸なしで、ガッツリ櫂入れくらいでOKじゃない?」
文体はともかく、上記のような感じの自然発生的な提案が、山卸廃止モト=山廃の大意です(?)。
逆に言えば、現在、米を徹底的に摺り潰す「山卸」という作業は、その原理上、
あんまり必要ではないはずなんです。(かなりの低精白とかでない限り——)
ちなみに当蔵は、はじめにとある経緯で「山廃」と自分のところの酒を呼称したので、
現在のところ「山廃」と名乗ってます。
背景を申しますと、当蔵の山廃造りの師匠様は、秋田の銘酒「刈穂」&「出羽鶴」を擁する
秋田清酒株式会社の製造部長さまであられた角田先生というすごい方なのでした。
角田先生は、「刈穂」後に、岩手の「わしの尾」さんなどで指導を行っておられ、
いまのところは、引退されておられます(残念!)——が、引退ぎりぎり前に、
当蔵は運良く指導を受けることができたのです。
2年前、指導いただいている最中、
「角田先生、これ『生モト』と言ってもいいでしょうか?」と聞きましたら、曰く、
「自分の流儀では、ずっと『山廃』としていたから、『山廃』にしといてくれよ」
——ということで「山廃」名義になったんですね。
以降、うちの酒母担当の津川くんが、いろいろとイカしたネタをくっつけまくって、
現在のスタイルになっていますが、我々は角田先生をリスペクトし「山廃」名義を
継承してます。
皆様には、現在となっては、その製法上、「生モト」と「山廃」に、明確な違いは
なくなっている、どちらが上とか下とかいうことはない、ということをお知らせしたいと思いまして、
またもや、長々と書いてしまいました—-。
ではでは。また。