本日まで2泊3日で、遠く佐賀から蔵見学に「鍋島」の飯盛さんと「天吹」の木下さんが
秋田にいらっしゃいました。
今をときめく、スター蔵二軒の来秋とありまして、たいへん緊張する数日間でありました。
その見学風景ですが、こちら刈穂にて。
飯盛さんと、刈穂/出羽鶴の製造部長である佐渡さんは、
酒類総合研究所の研修で同期だったということで、お話が弾んでいらっしゃいました。
(佐渡様、後ろ姿ですみません—)
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こちら、ご存知、刈穂の、槽(ふね)。
この計六台の槽なので、水上勉が名付けて「六舟(ろくしゅう)」。
商品の名前になっていますが、何度見ても、まさに圧巻ですね。
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こちらは、「ゆきの美人」にて、小林さんが、
現在育てております、NEXT5 ”Passion 2011″の酒母を説明しているところ。
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蔵見学を通じて、技術関連の相談などのやりとりも多くいたしましたが、
「鍋島」さん、「天吹」さんのどちらも、実に、この日本酒の文化をいかに守り、
育ててゆくかということに腐心されていることに感銘を受けました。
例えば「鍋島」さんは、本格的にブレイクしたのは、ここ2~3年ですが、それ以前は
地元、佐賀で着実に地盤を固めていました。
地酒なのだから、まずは地元でこそと、
佐賀にあって特定名称酒が売れるように、一生懸命、酒販店を育てる事から
始めたということです。
まったく専門性のなかった、いくつもの普通の町の酒屋さんを、一から育てあげたというわけです。
車で福岡の酒販店まで連れてゆき勉強させるなど、
自身の本業である酒造りについても大変な時期であったにもかかわらず、
地元のニーズの掘り起こしに相当な投資ならびに援助の努力をし、
まずは地元佐賀でこそ、良質な酒が飲まれるように、最大の努力を払ったということです。
今では、それらの酒販店は、多くが、スーパーやディスカウントとは住み分けを
確立した立派な専門店になって、「鍋島」の強力なパートナーとなっています。
「鍋島」さんは、ご存知、現状造っても造っても足りないくらいに人気の蔵ですが、
その評判は首都圏発でなく、むしろ地元からのものであったのです。
こういうわけで、「鍋島」さんは、まずは地元に良質な地酒の需要を掘り起こす事に成功し、
実際に相当量の中~高級酒を県内で売っておられます。
こうして、今や、全方位に盤石な態勢を築かれているわけでした。
佐賀は、「東一」さんを筆頭に「天吹」「鍋島」「天山(七田)」さんなどの
スーパー蔵が相次いで隆盛し、現在も「万齢」「東鶴」さんなどが続いております。
こうした高品質の酒が生み出されている理由の一つがわかったような気がいたしました。
こうした取り組みをを私らの蔵をはじめ秋田の蔵がやっていたのか、
やったうえで、地元で特定名称が売れないなどと嘆いていたのか、
考えるに恥ずかしい事で、「鍋島」「天吹」さまには、実に秋田に来ていただいて、
感謝してもし足りないくらいでした。