生米麹造り

さて、今年も実験しています。昨年は体調不良でなかなかできなかったのですが、今年は当蔵らしく「古くて新しい」酒造りを極めるべく、また新しい日本酒の世界を切り拓こうとチャレンジしています。

 

ちなみに立春を過ぎてからは、また体調がかなり良くなりました。昨年倒れたのがちょうど2月4日で、それから一年たちましたが皆様の励ましで、なんとか立ち直りつつあります。過ぎ去った40歳の一年は、まさに不思議なことが立て続けに起こる一年でした。基本的にひどい一年でしたが、良いこともたくさんあり、転機になったような気がします。なぜかわかりませんが、これからの人生は、とにかく自分や自社のためを超えて、より意義深いことをしたいと思うようになりました。

まずは、農業を始めることになり、4月から農業法人を立ち上げることになりました。これにより多くの自社田を経営することができるようになりました。

また、山間農村にて酒米栽培をサポートすることで、素晴らしい秋田の景観を守る活動を始めることができるようになりました。

ほか、最近はちらほら人材の相談を受けることようになってきました。いままでなら当蔵の体制が整っていなかったのでお断りしていたものの、最近は徐々に心境が変化してきました。偉大な蔵からは偉大な人材が輩出されます。私の曽祖父も、素晴らしい杜氏を何人も世に送り出しました。優れた人材は自社で抱え込むのでなく、むしろ世に輩出することが、広い意味ではその会社のためになるのかもしれません。

(例えば、有名な「神亀」というお蔵さんは、特に人材の育成に熱心で、何人もの杜氏を育て、紹介し、日本中で活躍させています。こうした寛容な精神が、純米酒の蔵や燗酒の文化を強烈に後押しし、現在に至り巨大な潮流となりました。「神亀」さんが自前で人材を抱え込んでいたらこうはなっていなかったでしょう)

人材を育成するということは、会社にとって設備投資の百万倍も大事な仕事です。

そういう意味では、我々は、受け入れ面でももっと幅広いアプローチをとりたいと考えています。人種性別問わず、生モトや木桶などを使用した伝統技術による酒造りを学びたい若い方がおられたら、我々は喜んで受けいれたいと思っています。

 

 

 

さて、本題ですが——現在取り組んでいるのは、生米で造る麹です。

蒸さない米で麹を造るなんて、頭は大丈夫かと思う方がおられるかもしれませんが、とんでもないことです!—–むしろこれは、神聖な製法なのです。

相変わらず長いブログになりますが、酒造りの歴史から始めましょう。もともと、日本酒というか日本で作られた最古の米の酒は「口噛み酒」でした。この口噛み手法、けっこう最近まで沖縄の文化圏で残っていました。また、後述しますが地方の神社のいくつかでは残っていました。世界を見ると、アフリカなどでは現役の製法です。

 

1、口噛み酒

 

口噛み酒は、粉砕した生米(しとぎ、と言います)を口に含んで唾液を絡めて、壺に貯めるというものです。抗菌性の草(ビールにおけるホップの役割)を使用することもあり、アルコールはほとんど出ませんが、技術次第では美味しいものができます。

 

なお日本本土では紀元3世紀、つまり弥生時代までが口噛み酒の文化だったといわれています。この由来は一説によると、紀元3~4世紀以降に、春秋時代の中国、江南地方の稲作国家「越」の民が、南方ルートから日本に移住し、水稲と同時にこうした原始的な酒造りの方法を定着させたといいます。(なお、稲作そのものの起源は、インドのアッサム地方なんですって。面白いですね)

 

そこから、酒造りはさらに進化します。

 

2、米芽酒

「口噛み酒」から先は、穀物の芽に含まれている糖化酵素を利用した「穀芽酒」に進化します。芽が生えた米で作ると「米芽酒」です。そして芽の生えた麦で造ると「麦芽酒」です、これはつまりお馴染みのビールですね。

ビールが現役なのですから、もちろん「米芽酒」も捨てたものではありません。具体的には、発芽玄米で、発芽玄米自身を溶かし、それから発酵させればできあがり。さっぱりして甘く、そこそこアルコールも出るので、口噛酒よりはずっと酒の体をなした、うまい酒ができる製法なんです)

 

こうした穀芽酒は、中国ではなんと3000~4000年前から用いられていたとのこと。紀元前1500年前の殷の時代では、明確に文書に残されていて、かなり高度な使用法もされていたようです。なお、こうした穀物を発芽させた糖化剤は、「櫱(げつ)」と呼ばれました。

日本に伝わったのは、遅かれながら紀元3~4世紀。百済などの国から、日本に伝わった形跡があります。

なお、ビールは、麦の栽培に適したメソポタミア(次いでエジプト)で発明されました。こちらも4000年も前の遺跡から見つかっているようです—–。当時の作り方を調べた面白いサイトがありましたので、以下。

古代エジプトビールを探求するキリンビールの取り組みは、20年におよぶ大掛かりなプロジェクトだった

 

 

 

そして間髪入れず次の進化がはじまります。

 

3、麹の酒

「麹」があらわれます。これは、米と麦といった穀物を発芽させようと、湿った場所に置いておいたら、偶然カビが生えてしまったところから始まったのです。カビは、穀物芽が含む以上に、糖化酵素を大量生産してくれます。より大量の糖分が生み出されると、より大量のアルコールが含まれることになります。これは、酒の進化における一打事件でした。

(麹の酒つまりカビの酒は、温暖で湿気のある地方——つまりアジアにおいて発達しました。乾燥したアラビア〜北アフリカ〜ヨーロッパでは、カビが生えにくいので、ビールやワインといった穀芽酒や果実酒がメインとなったと考えらています)

 

さてこの「麹」の技術ですが、中国では、こちらもすでに紀元前3000年以上前から存在していたそうです。なおこの「麹」という漢字は麦へんです。これは中国が麦文化であるからにほかありません。もちろん中国でも水が豊富な地域は稲作が盛んですが、基本的に中国は早くから北方民族が支配してしまったので、麦が主流の食文化になったのでしょう。

*ですから、日本の米を用いる麹は、本来「糀」というほうが良いのかもしれません。

 

 

 

さて、麦は脱穀・籾摺りした後、すりつぶして粉(麦粉)にし、形を整える必要があります。つまり麺とかパンみたいなのに成形しないといけないわけです。

そこで麹の酒が日本に伝えられたときも、生の穀物を粉にしてから、そこにカビを生やさせる技術が持ち込まれました。

しかし、日本では、中国と違って、生の原料にカビを生やさせる文化は定着しませんでした。ここから日本酒の最大の特徴があらわれてくるのですが、日本はあまりにも稲作に適した土地だったので、弥生時代以降は米文化にずっぽりはまっていたからなのです。

米は、麦の3〜4倍も採取量が多く、かつ、麦と違い連作障害を起こさないという優れた植物です。環境にも優しい植物なのです。

また、米は別に粉にする必要がありません。食べるためにはそのまま蒸せば良いだけです。(なお昔の土器が精度が低く、水を入れると土が溶け出してくるので、煮る文化は後になってからになります)

そして日本では、蒸した米を好む麹菌(黄麹菌=アスペルギルス・オリゼー)が多いということも理由としてあげられるようです。中国の生米の麹(餅麹)が完成までに1週間も10日もかかるのに、蒸米プラス黄麹菌の組み合わせであれば、2〜3日という短期間でできてしまうのでした。

 

ということで

・中国は生の麦などの穀物をすりつぶしから成形して、カビを生やさせる文化。(餅麹=もちこうじ)

 

・日本は、蒸した米をそのまま粒のまま、カビを生やさせる文化。(散麹=ばらこうじ)

 

と、酒作りの肝である麹(糖化剤)の入手の違いにいて、決定的な違いが出てきました。歴史的に見ると、

中国でも蒸した米をカビさせる技術は、はるか昔から、もちろんありました。ところが、結局それは中国ではメジャーになりませんでした。紀元5世紀ころの北魏の料理レシピ集「斉民要術」では、もう蒸米散麹は出てきません。生の穀物を用いた餅麹のみになってしまっています。

一方、日本側は、8世紀ころの「延喜式」には、こうした中国式の生の穀物麹の記述もありますが、すでに中国では廃れてしまっていた蒸米散麹の使用がメインの酒造方法として採用されていました。

こうしたことから考えると、まさに日本は、根っからの米食文化の国だったことがわかります。日本は実に稲作に適した土地なのです。米作りに向いているということは、つまり水資源が圧倒的に豊富な、まさにありがたい国土である、ということでもあるのですね。

実に、この国土に対する日本人の祖先の愛着の念は、稲を通して語られることが多いのです。「古事記」などに伝わる日本の国造りの物語によりますと、「天孫降臨」の際に、天照大神は、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に対して、「八咫の鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙の剣」といういわゆる三種の神器を授け、最後に神の国である高天原に生えている一本の稲(斎庭の稲穂)を与え、これを日本人の主食にせよ、と命じたことから始まるとされています。

以下は、伊勢神宮で撮ってきた写真でございますが、ここに簡潔に書いていますね。

IMG_5383

 

こうしたことを知るにつけて、現状の米政策も含めて、まさに貧者の食物と化さんばかりの悲惨な米の扱い方には義憤を感じます。聖なる食物だった米は、今やひどい扱いです。大変な仕事の割にまったく儲からず、誰もが避ける稲作稼業。価格の下落は止まらず、街を歩けば飲食店はどこもかしこも「大盛り無料」。牛丼よろしく今や、肉と米の組み合わせが、もっとも安く上がる食べ物となってしまいました。

ここらへんをなんとかしたいというのが、私が農業を始めたいと思ったきっかけでもあります —– がそれはさておき。

なぜ我々が、この歴史に逆行するように、生の米で麹を造り始めたのかというのは、また次回にしましょう。

 

IMG_6287

IMG_6289