生米麹造り2

生米麹造りの続きです。

 

前回は穀物を糖化して作る酒の進化の変遷について書かせていただきました。

 

1、唾液(の中に含まれる糖化酵素)を利用した製法=口噛み酒<全世界>

 

2、穀物の芽(の中に含まれる糖化酵素)を利用した酒=米芽酒<アジア>、麦芽酒<ヨーロッパやアジア>

 

3、カビ(が生産する糖化酵素)を利用した酒=生米・生麦麹<アジア全域>、蒸米麹<日本>

 

ということでした。

日本酒は、上記の最後の、「蒸米麹」を使用したカビ酒にあたります。

これと反対に、中国や東南アジアをなどを含めた広大なアジア大陸全般では、生米や生麦の麹(餅麹)が、紀元前から現在に至るまで、ずっと主流です。

 

「生米麹」も「蒸米麹」も、もともとは紀元前1000年頃の中国、周王朝のころにはすでに発明されていたものです。後年、日本には、この二つの製法は同時に伝わってきているはずと思われます。

ところが、アジア大陸(特に中国)では、「蒸米麹」が淘汰されて「生米麹」が主流になってしまい、逆に日本では「蒸米麹」の技術のみが残り、これに一本化されてしまいました。

 

中国や朝鮮半島からは、何度も、大陸の最新酒造法が日本にもたらされたわけですが、最終的には、「生米麹」だけは不評だったようです。味は抜群だったようですが—–。

例えば、「古事記」にある逸話ですが、百済から須須許里(すすこり)という渡来人がやってきて、銘酒作りの秘伝を教えたとされています。この須須許里の作った酒は非常に美味で、天皇に献上されたということです。これはもちろん生米麹を用いた醸造法だったに違いありません。

しかしながら、日本では生米麹の酒は、結局主流になりませんでした。

この理由は、さまざま学者が語っていますが、日本には、生米をよく糖化する力のあるクモノスカビが少なく、どうしても黄麹(アスペルギルス)が多いからという説が主流です(黄麹は蒸米を好むのです)。

 

しかし、まったく根付かなかったかというと、そうではありません。

神社の儀式に持ちいられるためにのみ、この生米麹の文化が残っていたのです。

 

「昔は、うるち米六合でつくった白米粉に水を加えて団子にして、稲わらにくるんで神前に供えた。数日すると団子にカビが生えるので、六合のもち米を蒸して餅につき、先ほどのカビの生えた団子を糖化剤として甘酒にする。しばらくすると濁酒になった」

「大正の末期まで行われていた神酒造りの方法は、しとぎ団子を稲わらに包み、そのまま長く置いておくとカビが生えて神酒のもとができたのだという」

                   (「日本酒の起源」上田誠之助/八坂書房)

このように、米粉(=粢 しとぎ)から麹を造る文化はつい最近まで、我々の身近なところに、局地的に残っていました。しかしこの生米麹は、製造が難しく、一般的な大衆の酒としては不向きだったか、儀式の際のときに使われるようなものとして生き残っていたのです。

 

そして、このように細々と続けられていた神事的伝統も、戦後にはほぼ消滅してしまいました。

戦中戦後には、そうしたことをしている余裕がなくなったからだろうと思います。例えば、当蔵の新年や立春のお酒をお祓いしていただいている秋田市の太平山三吉神社(創建は673年、役小角によるとのこと)では、古来からずっと口噛み酒を造っていたそうです。ところが、酒造りの際に仕込みの壺の上に必ず置かねばならない魔除けの御神刀が、敗戦時にGHQに没収されてしまったため、戦後は継続できなくなってしまったということです。もったいないことですね。

 

このように生米麹だけでなく、口噛み酒など、多様な酒造りがつい最近まであったのが、私にとっては、とても楽しいことに思われます。

こうしたことから、生米麹を復活させたら、けっこー面白いんじゃないかなと思った次第です。

 

私にとって日本酒は、鵺(ぬえ)のようにミステリアスなものです。日本人と日本酒は宗教的な関わりで自然と深く結びついていた。それが魅力の根源だと思っています。

時代の要請のため、致し方なく、単なる米加工業になりつつある現代の日本酒造りでも、よくよく見ると、太古の酒造りの面影を、つまり神に捧げる酒の意味を多分に残しています。たとえば、我々酒蔵は、米を蒸して使います。食べるご飯とは違っていますね、食べるご飯は煮ます(炊きます)から。

かつて蒸した米は「強飯(こわいい)」といって古来から「ハレ」(祭礼)の食べ物として扱われてきました。

一方、煮て作る食べるご飯は、これを「姫飯(ひめいい)」といいまして、こちらは「ケ」(日常)の食べ物なんですね。

 

平安時代には元旦には「強飯」を食べたと言います。「強飯」はもち米で作られるのが普通でしたから、これは後世の「お餅」につながってきて、今でも我々は正月に餅を食べることになっています。

このような「強飯」から作られる日本酒は、もともとは、そっち側のつまり祭りや儀式の時に用いられる「ハレの日」の飲食物なのです。

 

そして「強飯」同様、生米の粉である(しとぎ)も、無論、神に捧げられる「ハレ」の飲食物です。大辞泉には「古代の米食法の一種」「水に浸した生米をつき砕いて、種々の形に固めた食物。神饌 (しんせん) に用いる」とあります。ですから、歴史的にも、「」は「強飯」のさらなる先祖のようなものとして神社に残り続けたのでしょう。

 

ちょっと話が飛びましたが、そういうわけで、生米麹で作った酒は、本来の「ハレ」的な日本酒の姿をあらわす酒のひとつのように思えましたので、ちょっと再現してみようかな? という気になったわけでした。

 

製法はまたの機会に—(といってもシンプル極まりないものですが)。では—–。

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