広島滞在

えー全国新酒鑑評会は終わりましたが、
まだ広島におります。

一昨日が「新酒鑑評会」でした(写真は後日アップします)。その後、
懐かしの「酒類総合研究所」で恩師にご挨拶&技術相談させていただきました。

で、昨日は「富久長」さん、「賀茂金秀」さんを見学させていただき、
本日は、呉の「華鳩」さんにお伺いしました。
素晴らしい銘醸蔵を回って、しっかりと勉強させていただきましたが、
名残おしいことに、明日はもう広島を去らなくてはなりません。

広島は、「軟水醸造法」の発祥地として、明治の末頃、大ブレイクして銘醸地となりました。
それ以前の清酒業界は、灘伏見の独壇場。
つまり「灘の宮水」のような硬水でないと良い酒はできないと信じられていたわけです。

ところが、広島の三浦仙三郎という優れた技術者が、革命を起こしました。
吟醸のようなキレイな酒、つまり淡麗で旨口の酒なら、むしろ軟水の方が良い、と提唱したのです。
酒造法の革命的な発見が、ここ広島でなされたというわけです。
(なんと、今回見学した「富久長」さんの水が、その大本だということです。
三浦仙三郎の住まいが、今でも裏手の山の山腹に残っているということ、また「富久長」
という銘柄名も、三浦仙三郎がつけたということで、感動ものでした)

ちなみに、ビールも同じで、相当長いこと、「硬水でないといい酒ができない」という
迷信が長らくありましたが、チェコのピルゼンという軟水地域で造ったら
色の薄く、さっぱりとした淡麗な酒ができて、これが「ピルスナー」となりました。
現在の日本の大手ビールはすべてこれです。
広島は、さしづめ日本の「ピルゼン」といえるでしょうか。

この広島に続いたのが、秋田県。
県南湯沢地方の「両関」が、明治末より、亀ノ尾をはじめとする
地元の米で、優良酒を醸しまくり、ついに大正中期に、全国清酒品評会で首席と
なるという快挙を起こしました。これが、すべての秋田酒の出発点です。

雄町以外の米で、まともな酒、高級酒ができるとは誰も信じていなかった時代、
地元産米で、全国首位の酒を造ったという事実は、全国に衝撃を与えました。
「両関」は、独自の酒造法を広めるため、秋田県醸造試験場を設立する原動力となり、
天才酒造家である花岡正庸が招かれることになりました。
両関は、さらに地元湯沢に近い山内村の蔵人を「山内杜氏」と呼ばれる
技能集団に育て上げるべく、教育に尽力しました。
そうして、やがて当蔵や「太平山」などといった蔵が頭角を現すにいたり、
秋田は銘醸地として育っていきました。

「西の広島、東の秋田」——
時代は変わりましたが、この二つの県が頑張ってこそ、
新たな日本酒の時代の幕が開かれると思います。
さすが一足速く、広島には、若手を中心に、新しい風が吹いておるようです。
三浦仙三郎の座右の銘は「百試千改」(ひゃくしせんかい)!
額に赤い文字で入れ墨として入れたいくらい、素晴らしい言葉ですね!!

秋田も遅れずに、ついていかないと!
と思わずにいられなかった、ここ数日の滞在でした。