大阪大学企画展のご紹介!

今年の出張がほぼ終わりました—–
いや。まだ一つのこっております。

それはどういうものかと言いますと?

ご紹介となりますが、来月、大阪大学総合学術博物館にて、

総合学術博物館創立10周年記念 
第15回企画展
「ものづくり 上方”酒”ばなしー先駆・革新の系譜と大阪高工醸造科ー」



という企画展が開かれますが、それに行ってまいります!

概要

「上方は日本列島の酒の歴史をリードしてきました。
しかもそれは生産・技術に止まらず、社会・文化にまで及びます。
江戸時代、清酒を大量生産した伊丹・池田、寒造りを確立した灘などの『下り酒』が
江戸の市場を席巻し、経済的繁栄を背景に文人墨客を集めました——」



つまり、これは、<上方>と、その中心にあって醸造を支えた大阪大学がいかに
醸造の歴史に貢献したかを呈示する企画展なんですね。
六号酵母の生みの親といえる、私のひいじいさんの五代目の佐藤卯兵衛も、
大阪大学の出身ですので、そのご縁でちょっと扱われていますので、
私も拝見しに行こうと思っています。

さて、この大阪大学の醸造を学ぶための部門は、
当時(100年くらい前)は、「大阪高等工業学校」といってました。
これ、今の大阪大学の工学部に値するのかな?

この醸造科は、当時、酒を学ぶためのメッカでした。
企画展の概要にもありますが、当時の酒造りは「灘・伏見を中心とする
西日本」が中心地。
その頃、関東以北、特に東北や北陸なんてのは、「あんな寒いところで酒なんかできんの?」
みたいな感じでした。もちろん、東地方にも、いい酒を造る蔵もありましたが、
それも、ごくごくわずか。
一般的には、西日本、特に灘・伏見には品質的にはまったくかなわない状況でありました。

*今の北海道も、そういうイメージがもしかしてあるかもしれませんね—-リアルに
もろみが凍るといいますから。(でも、最近の気象の変動を見ると、
北海道は未来の銘醸地だと思います)



話は戻りますが、昔は、地方(特に東日本には)たいした酒はないと思われてました。
「下り酒」といって、灘伏見からの酒が運ばれて行って、
それが地酒とブレンドされて、やっとまともなものになる—そういう感じだったのです。
秋田だって、昔は、高級料亭はみな、灘・伏見の酒ばかりでした。

ですから、当時、100年くらい前、
お酒造りで最高の教育を受けるためには、みんな、灘・伏見が近い
大阪高工に行きました。当時の鑑定官のみなさんも、みんなここに入学して、
それから官僚になりました。

そういうわけでうちのひいじいさんも、ひいひいじいさんが投資してくれた
おかげで、大阪高等工業学校 醸造科に進んだのですね。
これは秋田ではたいへん珍しい事だったので、ひいひいじいさん(四代・佐藤佐吉)も
やはり素晴らしい方だったのでしょう。

さて、五代目(幼名:卯三郎)は、勉強ができて、成績が抜群だったらしく、
当時同級生だった、広島「小笹屋竹鶴酒造」の竹鶴政孝氏(ニッカウヰスキー創始者)と
学業の覇を争ったといいます。長じてからも比較されましたが、当時は、
「西の竹鶴、東の卯三郎」と呼ばれたとのことです。

で、五代目は、秋田に帰って来てからも延々と酒造りを勉強して、
今から、80年前に「6号酵母」をもろみに生み出す事に成功したわけです。
酒がほとんど飲めず、体が弱くてよく倒れたといいますので、
本当に難儀なことだったでしょう。

それから——
東北が高級酒造りの面で、突然、有利になってしまいました。
国税庁に採取され、醸造協会が培養して、全国津々浦々に培養&頒布された6号酵母が、
生来の低温発酵性で、(当たり前ですが)東北の気候にあっていたためです。

そしてその頃、時代は吟醸造りの黎明期。
精米機の改良による高度精白と、広島で生まれた軟水醸造、これに
低温発酵性酵母による低温発酵が加わると「吟醸酒」ができます。

こうして、酒質において蔑まされていた東日本に、
吟醸造りのノウハウとその完成形をひっさげて、秋田という「銘醸地」が、
その姿をあらわしたわけです。

この大阪大学の企画展では、その「銘醸地」秋田の創成にもっとも寄与した、
花岡正庸(はなおかまさつね)という、天才技師を多く取り上げています。
(無論、彼も阪大出身です)

花岡先生は、秋田赴任時、当蔵の家付き酵母の優秀性に気づき、(これまた阪大出身の)
後輩技師、小山富司雄(おあなふじお)氏を呼び寄せて、当蔵から酵母を採取させているので、
実際、6号酵母は花岡先生の先見の明と、小穴先生の技術で世に認められた
といって良いでしょう。

蔵元駄文-卯兵衛

ということでポスターですが、ご覧頂きますと分かる通り、
上部、向かって左に五代目の卯兵衛と、その右に、ウイスキーのテイスティングを
している竹鶴政孝氏が並んで載っております。

なんとなく前述した「西の竹鶴~~」という言葉を彷彿とさせますが、
この言葉は、考えてみると、非常に面白い言葉ですね。

今は頒布中止となり亡失してしまった酵母ですが、
きょうかい3号(「酔心」から採取)、4号(不明だが広島の蔵元由来)、そして5号(「賀茂鶴」より採取)は、それぞれ、竹鶴酒造さんのあります広島の蔵元さんから生まれたものです。
これらは、軟水に向いた酵母だったのかもしれませんね。

で、其の次に発見された「きょうかい6号」は秋田生まれ、当蔵発祥です。

こういう来歴を見ますと、灘・伏見以外の、新たな銘醸地の誕生が、
まさしく予見されているような人物の組み合わせのように思えます。
(実際に竹鶴政孝氏の父親であられる、竹鶴敬次郎氏は、
<軟水醸造法>を編み出した三浦仙三郎氏のグループの主要メンバーだったということ)

なんとも「酒は人」という本質を垣間みさせてくれるフレーズだなあ—-
ということを思いつつ、このブログを書いていたら、当蔵の会長である父が、今やって来て、
「そういえば、五代目の大阪大学の卒業証書が、昨日押し入れから見つかったよ」
と、<そういえば、昨日、i-phone5予約したよ>みたいな、実にライトな感じで
おっしゃったので、その写真はまたアップします。